P--725 P--726 P--727 #1弥陀如来名号徳    弥陀如来名号徳 【1】 無量光といふは、『経』(観経)にのたまはく、「無量寿仏に八万四千の 相まします。一々の相におのおの八万四千の随形好まします。一々の好にまた 八万四千の光明まします。一々の光明あまねく十方世界を照らしたまふ。念仏 の衆生をば摂取して捨てたまはず」といへり。恵心院の僧都(源信)、このひか りを勘へてのたまはく(往生要集・中)、「一々の相におのおの七百五倶胝六百 万の光明あり、熾然赫奕たり」(意)といへり。一相より出づるところの光明か くのごとし、いはんや八万四千の相より出でんひかりのおほきことをおしはか りたまふべし。この光明の数のおほきによりて、無量光と申すなり。 【2】 つぎに無辺光といふは、かくのごとく無量のひかり十方を照らすこと、 きはほとりなきによりて、無辺光と申すなり。 【3】 つぎに無碍光といふは、この日月のひかりは、ものをへだてつれば、そ P--728 のひかりかよはず。この弥陀の御ひかりは、ものにさへられずしてよろづの有 情を照らしたまふゆゑに、無碍光仏と申すなり。有情の煩悩悪業のこころにさ へられずましますによりて、無碍光仏と申すなり。無碍光の徳ましまさざらま しかば、いかがし候はまし。かの極楽世界とこの娑婆世界とのあひだに、十万 億の三千大千世界をへだてたりと説けり。その一々の三千大千世界におのおの 四重の鉄囲山あり、高さ須弥山とひとし。つぎに小千界をめぐれる鉄囲山あ り、高さ第六天にいたる。つぎに中千界をめぐれる鉄囲山あり、高さ色界の初 禅にいたる。つぎに大千界をめぐれる鉄囲山あり、高さ第二禅にいたれり。し かればすなはち、もし無碍光仏にてましまさずは一世界をすらとほるべから ず、いかにいはんや十万億の世界をや。かの無碍光仏の光明、かかる不可思議 の山を徹照してこの念仏〔の〕衆生を摂取したまふに、さはることましまさぬゆ ゑに無碍光と申すなり。 【4】 つぎに清浄光と申すは、法蔵菩薩、貪欲のこころなくして得たまへるひ かりなり。貪欲といふに二つあり、一つには婬貪、二つには財貪なり。この二 つの貪欲のこころなくして得たまへるひかりなり。よろづの有情の汚穢不浄 P--729 を除かんための御ひかりなり。婬欲・財欲の罪を除きはらはんがためなり。こ のゆゑに清浄光と申すなり。 【5】 つぎに歓喜光といふは、無瞋の善根をもつて得たまへるひかりなり。無 瞋といふは、おもてにいかりはらだつかたちもなく、心のうちにそねみねたむ こころもなきを無瞋といふなり。このこころをもつて得たまへるひかりにて、 よろづの有情の瞋恚・憎嫉の罪を除きはらはんために得たまへるひかりなるが ゆゑに、歓喜光と申すなり。 【6】 つぎに智慧光と申すは、これは無痴の善根をもつて得たまへるひかりな り。無痴の善根といふは、一切有情、智慧をならひ学びて無上菩提にいたらん とおもふこころをおこさしめんがために得たまへるなり。念仏を信ずるこころ を得しむるなり。念仏を信ずるは、すなはちすでに智慧を得て仏に成るべき身 となるは、これを愚痴をはなるることとしるべきなり。このゆゑに智慧光仏と 申すなり。 【7】 つぎに無対光といふは、弥陀のひかりにひとしきひかりましまさぬゆゑ に、無対と申すなり。 P--730 【8】 つぎに炎王光と申すは、ひかりのさかりにして、火のさかりにもえたる にたとへまゐらするなり。火の炎の煙なきがさかりなるがごとしとなり。 【9】 つぎに不断光と申すは、この光のときとしてたえずやまず照らし…… 【10】 ……ちにておはしますひかりなり。超といふは、この弥陀の光明は、日 月の光にすぐれたまふゆゑに、超と申すなり。超は余のひかりにすぐれこえた まへりとしらせんとて、超日月光と申すなり。十二光のやう、おろおろかきし るして候ふなり。くはしく申し尽しがたく、かきあらはしがたし。 【11】 阿弥陀仏は智慧のひかりにておはしますなり。このひかりを無碍光仏と 申すなり。無碍光と申すゆゑは、十方一切有情の悪業煩悩のこころにさへられ ずへだてなきゆゑに、無碍とは申すなり。弥陀の光の不可思議にましますこと をあらはししらせんとて、帰命尽十方無碍光如来とは申すなり。無碍光仏をつ ねにこころにかけ、となへたてまつれば、十方一切諸仏の徳をひとつに具した まふによりて、弥陀を称すれば功徳善根きはまりましまさぬゆゑに、龍樹菩薩 は「我説彼尊功徳事 衆善無辺如海水」(十二礼)とをしへたまへり。かる がゆゑに不可思議光仏と申すとみえたり。不可思議光仏のゆゑに「尽十方無碍 P--731 光仏と申す」と、世親菩薩(天親)は『往生論』(浄土論)にあらはせり。阿弥 陀仏に十二のひかりの名まし…… 【12】 ……『浄土論』にあらはしたまへり。いふ、諸仏咨嗟の願(第十七願) に大行あり。大行といふは無碍光仏の御名を称するなり。この行あまねく一切 の行を摂す。極速円満せり。かるがゆゑに大行となづく。このゆゑによく衆生 の一切の無明を破す。また煩悩を具足せるわれら、無碍光仏の御ちかひをふた ごころなく信ずるゆゑに、無量光明土にいたるなり。光明土にいたれば自然 に無量の徳を得しめ、広大のひかりを具足す。広大の光を得るゆゑに、さまざ まのさとりをひらくなり。 【13】 難思光仏と申すは、この弥陀如来のひかりの徳をば、釈迦如来も御ここ ろおよばずと説きたまへり。こころのおよばぬゆゑに難思光仏といふなり。 【14】 つぎに無称光と申すは、これも「この不可思議光仏の功徳は説き尽しが たし」と釈尊のたまへり。ことばもおよばずとなり。このゆゑに無称光と申す とのたまへり。しかれば曇鸞和尚の『讃阿弥陀仏の偈』には、難思光仏と無称 光仏とを合して、「南無不可思議光仏」とのたまへり。この不可思議光仏のあ P--732 らはれたまふべきところを、かねて世親菩薩(天親)の…… 【15】 ……としとみえたり。自力の行者をば、如来とひとしといふことはある べからず。おのおの自力の心にては、不可思議光仏の土にいたることあたはず となり。ただ他力の信心によりて、不可思議光仏の土にはいたるとみえたり。 かの土に生れんとねがふ信者には、不可称不可説不可思議の徳を具足す。ここ ろもおよばれず、ことばもたえたり。かるがゆゑに不可思議光仏と申すとみえ たりとなり。   南無不可思議光仏 [草本にいはく]   [文応元年庚申十二月二日これを書写す。]                    [愚禿親鸞八十八歳書きをはりぬ。]